3.11 震動、夜中から埼玉のまぎらし方法。

少し投稿するのが遅かったり、投稿するか迷いましたが、多少、気持ちの整理がついたので、個人的な体験として投稿したいと思います。

 

10年前、事務アルバイトで仕事をしている時、突然、大きな揺れを感じました。確かに揺れ事態は、おおきかったですが、職場の人達が事務所の外に出ていったりしていました。個人的には、そのまま家財にしがみついていました。

 

事務所は停電してしまいましたが、そのうち回復するだろうとおもいました。ただ同僚がインターネットで震度がどれくらいか調べていましたが、実際にインターネットで知るほど、福島県付近東北地方あたりに地震が発生源で事態が大きくなっていること、さらに事務所の外に出てみると近所の人達も外に出ていて、慌ているところを見て、近所でも普通ではないことを理解しました。

 

地震後は、停電で仕事が停止してしまい、職場の人達がただ座っているか、携帯をいじって情報を得ようとしている状態でした。

 

外に出てまわりを歩いていると、信号機が停止して、真っ黒だったり、駅周辺には、普段人気が少ないはずですが、人で溢れていました。実際に聞いてみると電車が完全に停止している状態で立ち往生しているという事でした。

 

コンビニなど商店街でも電気がつかず、会計をするのも電卓でしている状態でした。店によっては、ほとんど閉店状態でした。ただ意外に公衆電話に人が並んでいて何が何でも生死の確認をしていました。

自分も携帯では連絡がつかず実際にCメールでやっと確認ができたくらい電波が通じなかったことを覚えています。

まわりを確認して事務所に戻っても相変わらずただ座っている状態でした。会話しているうちに、だんだん暗くなって行きました。事務所に懐中電灯がなかったと思います。結局、携帯の懐中電灯を照らしながら、そのまま過ごしていました。

職場の何人かは、数時間歩いて帰っていきました。そのまま事務所いることも考えましたが、地理が詳しかったので、自分も歩いて帰宅することにしました。

 

歩いて変えると約1キロを過ぎた辺りで信号機が点滅している光景を見かけた。途中、コンビニやドラッグストアに寄ってみると、お菓子やゼリー以外の食べ物が全くなかった。帰ってから家族に聞いてもスーパーマーケットは、ガラスが割れたり、棚が倒れてしまい途中で閉店してしまったらしいです。

また歩いている最中は、反対側の道路から歩いて帰っているサラリーマンやOLも見かけた。しかも歩きながらしりとりをしている光景を見て、ウチも事務所でしりとりをしていたから、他でもやっていることに驚いてしまった。

帰る途中、橋が渡れるか不安だったが渡れたので、これで家に帰れると確信しました。

 

役2時間半くらいかけて家に帰ってみると、家事態は、特に変わった様子がなく安心だったが、ペットの餌をおいてある器が多少乱れていることや周辺のコンビニなどが停止していることを聞いたり、テレビで見て改めて事の深刻さを感じてしまった。

また他の連絡先から電話が来て、家に戻れずに臨時の施設に避難していることを知り、自分は、まだ家に戻れただけでも恵まれているほうだと思いました。

その後、テレビだけでなくラジオも聞くと「負けないで」など励ます曲やメッセージがひたすら流れ続けた。

 

次の日は、朝食を食べて事務所に電話すると通話できず行くかどうか迷ってしまったが、他の事務所に連絡してやっと繋がって聞いてみると、とりあえず仕事はしているということなので、歩いて行くことにしました。

 

バスや電車など交通機関を利用しようとしましたが、ほぼ停止状態なので、歩いて事務所に向かいました。

実は、今まで家族とほとんど連絡をしたことがなかったですが、Cメールでほぼ一日中取り合っていたことに対して不思議な気分だった。

昨日の帰りと違い、土日だったせいか、全く人気がなかったです。

 

事務所に着くと、昨日のメンバーの何人かは、一晩過ごしたりしていました。コンビニなど商店街も停止状態で食料を買いに行くのに、いつもより遠いところまで歩いて行ったらしいです。

ただ電気なども復旧していたこともあり仕事事態は、何事もなくこなすことができました。

帰りは、同僚に途中まで送ってもらいました。車中の途中、ガソリンスタンドは、約3キロ以上ガソリン供給を待つ車の列が印象にのこりました。

電車が多少動いている状態でしたが、それでも2時間以上は、かかりました。

 

その後も覚えていますが、特に東日本震災が発生してから2日間は、よく覚えています。

今もテレビやラジオで特集する度に、記憶が甦ってきます。コロナウイルスとは、別に普段の日常を過ごせることがいかに幸せかを実感しています。

できるなら、このような災害は、発生しないことを願いたいです。