偏差値29でも後ろからクラスブービーか。

もともと勉強ができなく、テストや通知表を見ると、20〜30点くらいで、ほぼオール1をとったかという印象だった。

小学校6年の2学期から塾に行ったし、中学生から浪人時代になっても塾に行ったが、あまり成績が伸びた実感が湧かなかった。

小学校は校長室に連れられて、お寺で修行と
言われたが、ひょっとしたら教育委員会に行くか、退学させられるのではないかと思った。

結果的に校長先生に止められたおかげと良くも悪くも孤立しなかったので、卒業できた。

中学校、高校では、入学してまもなく学校模擬テストを受けて、ともに偏差値29を取ったことがあるし、予備校の模試でも偏差値29を取った。

当然、大学受験は、一つも受からなかったし、高校受験は、併願はおろか単願を取れる高校がなく、専門学校と高校一般受験を8校受けて5校落ちた。

大学は、父親が当時受験しなくても入学できる通信教育になってしまった。

正直、今振り返ると、母親には何度も言ったが、入学試験代、塾などの授業料を何年も払ってもらい申し訳なかったし、受験できない人たちに受験してもらったほうが良かったし、
受験生と話すことじたい人生をかけて学校や大学に入ろうとする人たちにいてはいけないフンイキだと思った。

なぜ受験勉強をしたかと言うと、思い起こせば父親に「人と接するのが苦手だから私立に行け」と「食事中に言われたり、学者になったほうが良い」と言われたところからだった。

その時は、何とも思わなかったが、小学6年生のある塾の夏期講習を受けるための試験をいきなり受けた。

結果は、2回受けて落ちたが、自分は、何がなんだかよく分からなかった。

結局、他の塾で夏期講習を受けるわけだが、なぜか緊張してしまったり、他人に声をかけらたり、怖かった印象がある。ただ声をかけてくれた人たちが同じ中学校で一緒になるとは…。

勉強というと、小学校では何をしたか、まったく憶えていないし、中学校は、最初はなんとなく理解出来たのかもしれない。途中からなんの勉強をしているのか分からなくなった。

やっと証明や方程式の題名が多少憶えているかだった。中学3年生になると同じクラスをさらに細かくクラス分けされた。たぶん一番できないクラスだったと思う。

中学校3年間は、週1日か2日だったと思う。塾に行っているというより、早く塾がオワラナイかしか考えてなかった。たぶん高校3年間通った塾でも同じ感じだったと思う。

勉強は、のちに大学受験もだが、高校受験に通用するのかも分からなかった。今は、文字を見ると眠くなってしまい、うたた寝してしまうが、当時は、眠っていたのか、ボーとしてたのかもあまり記憶にない。

大学もだが、高校も学校の先生や塾の先生に行く学校がなく、父親は怒っていたが、母はガッカリしていた(ただ大学進学には、こだわってはその時は思わなかった)。

冬期講習では、成績でクラス分けしなかったのか、科目でクラス分けしなかったかは、理由はわからないが、塾の先生に問題の答えを答えるさいに優しくされたことが記憶にある。人によっては厳しく叱責されたりしていた。お客さんという感じだったし、出ていったほうが良かったと思う。

いま振り返ると、一緒に同じ教室にいたことがスゴく申しわけなく思ったし、塾に行かないほうがよいことを親に言えれば良かったと考えたり、成績が取れないなら、塾に行かないで、極端な話、ただボーとしていたり、遊んでいたほうがマシだったと思う。

高校受験で合格した1校は、試験内容が教科書の問題ほぼそのまま出題されたり、進学する人数が基準より低かったから受かっただけだった。あとは、問題みてもほぼ解けなかった感じがしたことが当たったのかほぼ落ちた。

運良く高校に入学したが、入学直後の試験で偏差値29だったので、大学に進学するのは無理だと思った。

しかも大学受験は、高校に受けた授業と違いすぎて何をしてよいか、全く分からなかったこと、幸い高校が卒業するには良かったが、高校じたいが合わなくて精神的にある意味参ってしまい、大学受験はおろか将来について全く考えなかったり、なにか行動を起こすことが怖かったし、行動できなかった。

大学受験の塾で模擬テストの成績もおそらく0点に近い状態で偏差値29をとってしまい、進路相談員に「単語を憶えたほうが良い」と言われたが、どこから単語を憶えて良いか分からなかった。

その後、就職や将来を歩むのが怖くて、とりあえず浪人したが、塾のお金を無駄に払っているだけでだったし、塾の受付の人たちに笑われていたいうか、「来るな」と言われているかのようだった。

母親も塾のお金を支払う際に、睨みつけれているようで悪者扱いされているようだった。大学受験に落ちても落ちても大学の願書をとってきて受けるように言われた。なぜこんなに大学進学にこだわるのか分からなかった。

浪人時代は何をしていたかと言うと、一人で家か塾にずっといるか、テレビを見てるかだった。その時によくみていたのがボキャブラ天国だった。その他にテレビを曜日によって3時間見てるか、多少、スーパーファミコン?をしていた記憶がある。

ともかく浪人時代は、はやく一年過ぎないかなと、ずっと思っていた記憶がある。勉強しても頭に入っているかサッパリ分からなく、ただ机に座っていた記憶がある。

高校受験時代もそうだが大学受験も自分が受かりそうな学校を選んだこともあったが、大学受験は全部落ちてしまい、親に数校受験させたられたとはいえ、受験料を払ってくれた両親に申し訳なかった。

大学受験に落ちて自分は、はじめて人生取り残された感じがしたと同時に親から言われたことは、こなした感じがした。ただむなしさというか、一人でただ立っているような感じがして、どうしていいか考えたり、行動できなかった。

結局振り返ると高校、大学受験は、まわりに振りまわされているというか、人生を歩むために必要だと言うことを全く分からなかったし、自分で歩むためには、何をするか高校や大学で何をしたいかを意識していなかった。