2歳から会話できない人間の歩み。途中。

自閉症と間違えられて検査した内容とその後歩んできた経過は。

 

 

生まれたときから小学生の時まで、言葉が出てこないので良く障害者に間違えられていた。決して悲観的になったりしているわけではなく、その時に起きたことや記憶にあることを投稿しようと思う。

 

さっきも投稿した通り、生まれた時から言葉が出てこなかった。数十年、歳をとった現在でも会話をしたり、人に伝えるときは言葉が出なかったり、噛んでしまったりする時が多々あるのだが。

 

実際に言葉がでないと感じたのは小学2年のときで、ラ・リ・ル・レ・ロが言えず、危機感を持ったのか、先生が地元の小学校の施設にある児童センターを紹介してくれた。

 

児童センターに行くとスタッフが一人いて発声などをして検査して行った。ひと通り終えると車で帰った。後日、検査して異常なしと連絡が来た。 

 

後で聞いた話だが、児童センターを勧めた先生が悪いと感じたのか、通信簿を普段より一段階上げてくれたと思う。

 

親から聞いた話だと2歳のときも自閉症と間違えられて、医者に行って脳の検査をしてもらったり、ひまわり学園に行ってスタッフ相談に行ったこともあるらしい。

 

親が仕事が忙しく、まったく自分を見ることが出来なかったことや数週間、家政婦に見てもらったことなどを話したらしい。

 

その時に外に出した方が良いらしいと言われ、できる限り親が外に連れて行ってくれたことは、うっすらと覚えている。

 

その前にもノートや壁によく分からない色鉛筆かクレヨンで描いた跡が残っていたり、思いがけない行動をしたり、テンバっていたのかわからないが動揺しやすかったり、落ち着きがなかったことは覚えていたり、人の接しかたが分からず、たまに奇行を起こしていたことも記憶にある。多分、自閉症とは関係ないと思うんだけど。

 

その中で記憶にあるのは、人と会話をするときに話がまとまらず、何を言っているのか分からなくて相手に伝わらないことが多々あったことは覚えている。

 

社会人になると、また自閉症か思いたくなる症状が現れる。大勢の人前で話そうとすると言葉が出なくなることだ。ひどいときは、約10秒間くらい沈黙が出来てしまう。

 

頭のなかで話す内容を決めると少しは、言葉が出るのだが、虚をつかれたりすると言葉が出なくなってしまう。

 

正直、病気かと思ったくらいだ。上司や同僚には、「普段から会話をすること」や「結論から話した方が良い」とアドバイスしてくれてはいたが、いざ実戦してみると中々身につかないので余計落ち込んだでしまう。

 

何が一番良いのか分からす、失敗するとひたすら焦っていた。そんな時にある本を見て、気持ちが我に還ったのか、

 

内容は、いきなり結果を求め過ぎて焦らずじっくりとやって行ったほうが良い。と思った。と同時にその時の自分の言葉で出来るだけ伝えたほうが良いと思いついた。

 

その本を読んだり直感で感じてから、一歩でも半歩で自然に話すことを心がけて行くことにした。


そうするとある時になって経って少しずつ言葉が出るようになって来た。まだ会話をするときは言葉が詰まることがあるが。

 

自分でも細かい原因は分からないが、いくつか挙げるとするなら毎日親と会話したり、同僚と会話だけでなく細かく指摘してくれたり、他人の会話を自分でアレンジしたことも、会話ができるようになった原因かもしれない。

 

自閉症の疑いがあって障害者かもしれないと言われ、いろいろと親やまわりの人達に迷惑を多々かけてしまって、自分のせいだと思ったり、親のせいじゃないかと思ったけど、時が経っていたり、お互いに年齢を重ねたおかげかはわからないが、根底は親と一緒にいたことが少しずつ言葉が出てきた原因だったと思う。